エジプトの古代芸術に触れる



古代エジプトの美術は、神々への崇拝、宇宙創造神話、死後の世界への信仰を特徴としています。

ファラオ(王)は神の代理人と考えられていました。
エジプトの古代芸術は、そのファラオの政治権力の保護を受けて発展したので、政治的目的が色濃いのです。

ファラオの統治は3000年間続きました。
古代エジプトの美術には、それぞれの時代の王権の強大さが反映されています。

古代エジプトの建造物は、ピラミッドに代表されるように、幾何学的形状が特徴です。
絵画も、定型化、抽象化された図柄が目立ちます。
これらは、その後のエジプト美術の基盤となりました。

■ 墓
古代エジプトの建築にも、エジプト人の死生観が反映されています。
死後の世界を信仰する古代エジプト人にとって、墓は永遠の家を意味する、極めて重要なものと考えられていました。
そのため、大きくて頑丈な石造建築が盛んでした。

■ オベリスク
オベリスク(方尖柱)も、古代エジプトの特徴的な建造物です。
これは、太陽神ラーの信仰によって建造されるようになりました。
日の出を象徴しています。

■ 神殿
神を祀る神殿も巨大で、前面左右にオベリスクが二本と、列柱が並ぶ様式がとられています。

■ 壁画
エジプトの遺跡を訪れている人々の目を引くのは、その壁画の素晴らしさでしょう。
壁画は、死者を来世に旅立たせる案内書として墓室に描かれました。
したがって壁画では、永遠にふさわしい人物像、つまり抽象化された人体が追求されました。
わたしたちが現在見慣れている三次元的描写ではありません。
顔は横から、目と眉と両方の肩は正面から、胴と足は横から見たものが描かれています。
独特ですよね。

■ 彫刻
抽象的な壁画と比べ、彫刻は写実的です。
これは、彫刻が礼拝所に安置される目的で作られたからです。
「死者の霊が宿りやすいように」という古代エジプト人の意識があるのです。
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エジプト考古学博物館と『ウシャブティ』



エジプト考古学博物館とは、ツタンカーメン王の秘宝が展示されている、世界的に極めて有名な博物館です。

団体ツアー旅行では、2時間ほどしか時間がとれないかもしれませんね。
しかしそれでも、エジプトを訪れたら欠かすことのできない重要観光スポットです。

ミイラ室には、超有名なラメセス2世のミイラがあります。
どこに何があるかを事前にしっかり頭に叩き込んで、ポイントを絞って効率よく見てまわりましょう。

考古学博物館に展示されているのは、古代エジプト人がツタンカーメンの王墓に埋葬したような金銀財宝だけではありません。
当時のエジプト人の生活をうかがわせる、ありとあらゆる日常品も展示されています。
ツタンカーメンの黄金のマスクなどももちろん興味深いのですが、有名な所蔵品だけでなく、日常品の一つひとつを見ていても実に楽しいものです。

古代の副葬品は、来世を現世の延長としてとらえていたことを示しています。
古代エジプト人たちは、来世でも困らないよう充分な下準備をしていたのです。


■ ウシャブティ
ウシャブティとは、ミイラの形をした小さな像です。
古代エジプトで副葬品として死者と共に埋葬されました。
「ウシャブティ」とは「こたえる者」という意味です。
呪術的な目的で作られ、墓の主が来世で必要なときに呼び出し、死者の身代わりに労働に従事する役目を担います。
興味深いのは、ウシャブティの数です!
ウシャブティは時代と共に数を増してゆき、新王国時代には365体もひとりの死者のために用意されました。
365日分、つまり一年分ということです。
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エジプトのミイラとカノプス壺



エジプト紀元前16世紀に、パピルス巻物に書かれた有名な葬祭文「死者の書」。
これを見ると、永遠の命を信じる古代エジプト人の死生観をうかがうことができます。

死後の世界を信仰していた古代エジプトにとって、墳墓は永遠の家として重要なものでした。
それと同様に、肉体も、霊魂が戻る日のために永遠に保っておくべきものでした。
ミイラは、そのために作られました。

ミイラは、長い日数とさまざまな工程を経て作られます。
ミイラ製作費用もばかにはなりません。

ミイラにされたのは、人間だけではありませんでした。
ワニ、猫、犬、牛、ヒヒ、トキ(鳥)などもミイラにされ、人間のミイラと共に葬られたのです。
エジプト各地の博物館で、これら動物のミイラを観ることができます。

ミイラ製作は、ローマ帝国時代になると少し変化しました。
ミイラの顔には、仮面ではなく肖像画がのせられるようになりました。

ミイラ製作にあたって取り出された内臓は、壺に入れられて、保管されました。
その壺を『カノプス壺』といいます。
石や陶器で作られた壺です。

カノプス壺は4つひと組で用いられ、肝臓、肺、胃、腸が納められます。
古代エジプト人にとって、肉体の保存は信仰上最重要課題でした。
そのため、これらの4つの内臓も大切に壺に入れて遺体と同様に保存されたのです。

4つセットのカノプス壺は、それ自体が、工芸的価値があります。
4つの壺にはそれぞれ蓋があって、古代エジプトの神であるホルス神の4人の息子の頭部が模されています。
 ・肝臓の壺  人の頭部である「イムセティ」
 ・肺の壺   猿の頭部をもつ「ハピ」
 ・胃の壺   ジャッカルの頭部をもつ「ドゥアムテフ」
 ・腸の壺   ハヤブサの頭部をもつ「ケベフセヌフ」
エジプトの4人の神が、各内臓の守護神になっていたということでしょう。

カノプス壺は、エジプト考古学博物館でも観ることができます。
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古代エジプトのファラオたち



エジプトを観光するとき、古代エジプト史の知識があるかないかで、旅の奥行きが違ってきます。
少なくとも、主要な人物についての知識を持ってから、古代遺跡を観光しましょう。

古代エジプトの超有名な王をご紹介します。

■ メネス王(B.C.3100〜3000頃)
エジプト史上初めてエジプトを統一し、首都メンフィスを建設した伝説のファラオ。

■ クフ王(B.C.2550頃)
古代エジプトの古王国時代第4王朝のファラオ。
エジプト観光の目玉のひとつ、世界最大のギザ第1ピラミッドを建設したことで知られています。

■ ツタンカーメン王(トゥトアンクアムン)(在位B.C.1361〜1352)
古代エジプト新王国時代第18王朝のファラオ。
古代エジプトで最も有名な王でしょう。
20世紀に発掘された彼の墓からは、たくさんの秘宝が出土し、世界中をあっと言わせました。
歴史的には無名の青年王(9歳で即位、18歳で死去)であったため、墓の盗掘を逃れたのです。

■ ラメセス2世(在位B.C.1304〜1237)
古代エジプト新王国時代第19王朝のファラオ。
自己顕示欲の強い王だったので、エジプトのあちこちの神殿に自分の名前を刻ませていました。
正妻4人、側室200人以上、王子や王女も200人以上いたという記録が残っています。
強国ヒッタイトと戦い、世界最古の和平条約を結びました。
彼のミイラは、カイロエジプト考古学博物館のミイラ室で見ることができます。

■ アレクサンドロス大王(在位B.C.332〜323)
ギリシアのマケドニアの王。
長期にわたる遠征によって、ユーラシア大陸からアフリカ大陸にまたがる大帝国を築きました。
エジプトも征服し、大都市アレキサンドリアを建設しました。

■ クレオパトラ7世(在位B.C.51〜30)
エジプト・プトレマイオス朝最後の女王。
絶世の美女といわれています。
その真否はともかく、9ヶ国語を操る語学の天才でした。
会話の巧みさで多くの人を魅了した女性だったといわれています。
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